旅 2010.05–06

朝のカフェ・コン・レチェ

スペイン 2010年5〜6月

2010.05.21 バルセロナ

タルト・タタンの町の祭りから6日。パリを夜に発った寝台列車が、朝のバルセロナに着いた。

乗っていたのは、当時の恋人と、恋人の友人の Nanae Hassaku さんと、私。祭りで「日本から来た3人」として迎えられた私たちの旅も、この町までだ。

スペイン最初の5日間は、恋人の同級生の家に泊めてもらった。家の人たちは、私たちを心から歓迎してくれる。いちばん覚えているのは、庭で作ったパエリアだ。米ではなく、ごく短いパスタで作る。これが、うまかった。

人々が忙しそうにしていたパリに比べると、ここではゆっくりと時間が流れている。どこか、南イタリアに似た空気だ。

2010.05.21 バルセロナ

着いたその日の夕方には、菓子屋を探していた。一軒目はCasa Colomina という、通りがかりに偶然見つけた店だった。狭い店内のショーケースに、アーモンドを使った菓子がずらりと並んでいる。

いちばん味が想像できなかったのは、包装された、粘土の塊のようなものだ。アーモンドと砂糖を固めたトゥロン(turrón)だった。少し油が出てツヤッとしている。

生のケーキなら、ひと目でだいたいの味の見当がつく。この塊には、その手がかりが無い。何種類ものトゥロンを詰め合わせた箱を買って、その日は店を出た。

夜はスペイン料理の店でタルタ・デ・サンティアゴ(tarta de Santiago)を頼むと、濃い色の飲みものが入ったグラスが一緒に出てきた。デザートのようにしっかりと甘い赤ワインだ。粉糖で十字の印をつけた、アーモンドの焼き菓子である。とてもシンプルながら香りが、しっかりと、そしてやさしい。のちに私の店で、期間限定で何度か焼くことになる菓子となった。

トゥロンの箱は、数日後の晩に開けた。どれも素朴で、しっかりと甘いがやさしい味だ。中身がぎゅっと詰まっていて、一つでかなりのボリュームがある。練ったアーモンドをそのまま食べることは、日本ではなかなか無い。それが、とても新鮮だった。

2010.05.21 バルセロナ

その家では、簡単なスペイン語と、スペインの菓子のことも、いろいろと教わった。菓子屋で使う言葉はフレーズ集にして、ノートに書き留めておく。

「これは何ですか?」(¿Qué es esto?)

「何が入っていますか?」(¿Qué lleva dentro?)

「この土地の菓子はどれですか?」(¿Qué postre es típico de aquí?)

その中に、こんな一文もある。

「私は日本で菓子を作っています」(Soy pastelero en Japón.)

材料や作り方を、少しでも踏み込んで聞くための一文だ。菓子屋で使う現地の言葉を先に用意しておくやり方は、このときに始まり、のちに、どの国を旅するときにも続いていく。

2010.05.26 バルセロナ → バレンシア

パリとバルセロナで恋人と過ごした日々は、もちろん楽しかった。できるなら、もっといろいろな所を一緒に回りたい。それでも、ここからはまた、ひとりの旅だ。恋人と Hassaku さんとは、バルセロナで別れ、私は一人バレンシアへ向かう電車に乗った。

バレンシアのドミトリーでは、10ユーロで5軒をはしごできるという謎のツアーに誘われ、ホステルの人たちと出かける。スペインのワインやシェリーのような、土地の酒を飲み歩けるつもりでいた。ところが、連れて行かれた5軒は、どこもクラブのような店だった。

翌日、目が覚めたのは昼の12時ごろ。頭が痛い。その日はホステルのパソコンで、情報を集めて過ごした。今度こそ酒場のボデガで楽しめるように、シェリーの種類を辛口から甘口まで調べて、ノートに図にして写した。

この先の進路についても、その都度考えていた。予定ではポルトガルへ進むつもりでいたのに、調べてみるとモロッコへも船で数時間で渡れるらしい。ヨーロッパではない、アフリカの国だ。

ポルトガルの前に、行ってみようか。迷いながら、その夜、グラナダ行きの夜行列車に乗る。

2010.05.29 グラナダ

グラナダ行きの夜行は、寝台ではなく座席だった。横になれないまま、朝になる。この旅では、夜行で一晩を明かしながら移動することが多い。宿代が浮くからだ。ただ、シャワーは宿のチェックインまで我慢だ。ドミトリーの宿は午前中でもベッドが空いていればチェックインさせてくれるところも少なくなかった。

着いてまず、宿の近くの小さなバールの扉を開けた。今いる場所を確かめたかったのだ。広くはない店で、カウンターの中にはマスターのような人がいて、地元の客が朝から新聞を読んでいる。ついでに、ミルク入りのコーヒー、カフェ・コン・レチェ(café con leche)を頼む。

これが安くて、うまかった。

宿も、当たりだった。宿の人はとても雰囲気が良く、場所もかなり快適だ。ベランダでは、よく誰かがギターを弾いている。そのそばで横になる人がいて、マキネッタでいれたコーヒーを飲む人がいて、手巻きタバコを吸う人がいる。それぞれ旅人が、自分の時間をゆったりと過ごしていた。

同じ部屋になったスペイン人の女性と、香港から来た男性とはボデガでシェリーを交わす仲になった。

2010.05.29 グラナダ(サクロモンテ)

昼からは、宿で勧められて、サクロモンテの丘へ登った。気がつけば、ふつうの観光地を越えて、道なき道を歩いている。その先に、急に集落が現れた。斜面に穴を掘って、そこで暮らしているらしい。何をして暮らしを立てているのかは、今も分からない。観光客はまず来ない場所で、少し不気味だ。

かなりヤバい場所に来てしまった。

どの家にも、犬がたくさんいる。目の様子が変な凶暴そうな犬もいて、かまれるのではないかと身構えた。

住人たちは親切で、部屋ぐらいどうぞ、という調子で中まで見せてくれる。写真も撮らせてくれた。そのあとは10ユーロを請求されたが、手持ちの数ユーロだけ渡してやり過ごす。

山頂では、ヒッピーらしい3人組に出会った。変な格好をしてはいたが、こちらは危ない感じがしない。メロンでも食うか、という調子でメロンを分けてくれて、お金の話も出なかった。メロンは、甘かった。

2010.05.29 グラナダ

夕方、山を下り、ボデガへ寄り、調べておいたシェリーを3杯。グラナダのボデガは、酒を1杯頼むと料理が1品付いてくる酒場で、どこに入っても楽しい。アジア人が珍しいのか、気さくに話しかけてくる客もいる。3杯のあとは、夜に向けてぐっすりと眠った。

夜は11時半から、フラメンコを見に行く。もちろんフラメンコの存在は知っていたが、生で見るのは初めてだ。洞窟のような狭い空間で、踊りも演奏も、すぐ目の前にある。1時間のショーには迫力があり、ダンサーが、とてもかっこいい。

終わると、フラメンコの隣の店に入って夜食を食べる。

会計は18ユーロ。50ユーロ札を出した。おつりは32ユーロのはずだ。

返ってきたのは、15ユーロくらいだった。

足りないと訴えると、10ユーロが出てくる。

それでも、まだ7ユーロほど足りない。

こちらが戦闘態勢に入ると、近くにいたスペイン人が寄ってきて、私の味方になって一緒に戦ってくれた。最後は、店の人がちゃんとおつりを返してくれた。名前も知らないあのスペイン人には、今も感謝している。

グラナダに着いて、まだ1日目の夜だった。

2010.05.30 グラナダ

翌朝も、バールの扉を開ける。

「カフェ・コン・レチェ」

このバールが心地よく、つい本日も頼んでしまった。

この日は日曜日。スペインでは毎週日曜日に闘牛をやっているらしく、しかも近くの闘牛場でやるという。昼に切符を買いに行くと、闘牛場の囲いの前に地元の人たちが集まっていた。のぞくと、その夜に戦う牛たちがいる。切符は、いちばん安い8ユーロ(当時で1,000円弱)。ネットで闘牛のことを調べるまで、牛が殺されることすら知らなかった。

夜7時に始まって、3時間もある。予想以上に長い。その日の闘牛は8頭いた。闘牛士の技が光るたびに、客席から歓声がわき、また、ブーイングも飛んだ。血もけっこう出るのに、まわりの子どもたちは抵抗が無いのだろうか。小さな闘牛場だったのかもしれない。それでも、十分に楽しめた。見ただけでもいろいろな闘牛があって、きっと奥が深いのだろう。

そのあとは、またボデガへ行き、サルモレホというニンニクのきいたスープを頼んだ。たった6ユーロで、お腹がいっぱいになる。

その次の朝も、バールの扉を開けて、いつものあれを頼んだ。

「カフェ・コン・レチェ」

昼はバスで、グラナダの近くの町サンタフェへ出かけた。

お目当ては、Casa Ysla という菓子屋の名物、ピオノノ(pionono)だ。小さな筒にしたロール生地に、カスタードクリームをのせて砂糖を焦がした菓子だ。名前は、グラナダに来てから調べて知った。上は焦げ目と砂糖がしゃりしゃりして、下の生地はとてもしっとりしている。

これも美味しいが、もっとバージョンアップできそうだ。

店構えは、とても素朴だった。パリのようにきらびやかに整ってはいない。けれど、あの宿のベランダのような居心地が、スペインの菓子屋にはあった。

2010.06.01 グラナダ

グラナダに来て4日目。もう、することが無くなっていた。いろいろな人にメールを書いてから、その朝も、バールの扉を開ける。

こちらが口を開く前に、カウンターの向こうから声がした。

「今日もカフェ・コン・レチェかい?」

ん?常連の仲間入りだ!

店は、親子でやっている。カウンターの中で2人が働く様子が、とても良い。写真を撮らせてもらおうとしたが、父親は仕込みで忙しそうなので、写真は息子さんにお願いした。

「もう帰るのか?」

明日モロッコへ行く、と告げた。

2010.06.02 グラナダ → アルヘシラス

最後の朝は、5時半に起きて宿のパンを食べ、いつものバールへ向かう。さすがに6時半では、まだ開いていない。残念だったが、致し方ない。

駅にはカフェが付いていた。カフェ・コン・レチェと頼むと、なぜか伝わらない。出てきたのは、ミルク入りの紅茶、テ・コン・レチェ(té con leche)だった。やっぱりいつものバールがいい、と思いながら紅茶を啜った。

グラナダを7時15分に発ち、港町アルヘシラスへ向かう。港に着いてから船まで、あまり時間がなかった。切符売り場の場所も分からないまま、とにかく人に聞いて、さくさくと進めていく。

モロッコは、私にとって初めてのイスラム教の国だ。モロッコ料理も食べたことがなく、どんなものか想像もつかない。

船が港を離れたのは、13時半。90分後には、アフリカ大陸だ。

この旅の道のり

  1. 2010.05.20パリ→バルセロナ(フランス→スペイン、寝台)
  2. 2010.05.21バルセロナ(スペイン)
  3. 2010.05.22バルセロナ(スペイン)
  4. 2010.05.23カダケス(スペイン)
  5. 2010.05.24バルセロナ(スペイン)
  6. 2010.05.25バルセロナ(スペイン)
  7. 2010.05.26バルセロナ→バレンシア(スペイン)
  8. 2010.05.27バレンシア(スペイン)
  9. 2010.05.28バレンシア→グラナダ(スペイン、夜行の座席)
  10. 2010.05.29グラナダ(スペイン、サクロモンテ)
  11. 2010.05.30グラナダ(スペイン)
  12. 2010.05.31グラナダ→サンタフェ→グラナダ(スペイン、バス)
  13. 2010.06.01グラナダ(スペイン)
  14. 2010.06.02グラナダ→アルヘシラス(スペイン)

この回に出てきた郷土菓子

  • トゥロン(turrón)スペイン・バルセロナ

    アーモンドと砂糖を固めた

  • タルタ・デ・サンティアゴ(tarta de Santiago)スペイン・サンティアゴ・デ・コンポステーラ

    粉糖で十字の印をつけた

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