ウィーンの車窓から


ウィーンといえば"音楽の都"らしいですが、音楽について語るつもりは全くありません。

 

ウィーンといえば素敵な素敵なお菓子屋さん"DEMMEL"です。どうぞウィーンの車窓から

"DEMEL"といえば日本にもデパートなんかでよく見かけますね。

で、その本店がこちらウィーンにございます。やっぱりなんか違うんだな。

店内にはアノ可愛いパッケージがずらりと並んでいます。

前々から好きだったピエロのパッケージも健在。そして入手*

この素晴らしい店内の雰囲気に魅せられ、パッケージにはこだわろうと決意。

NanaeHassaku氏による郷土菓子研究社のパッケージも負けてませんよ()←必見

さすが"DEMEL"サン。店内は人でごった返し。犬まで興味津々。

私も興奮しっぱなしで、気づけば150枚以上写真とってました。衝撃。

店内で"Sachertorte"ザッハトルテを頂き、大人しく退散しました。

"Sachertorte"と言えばこちら"CAFE SACHER"ですね。

格式高いホテルのカフェというだけあって、店内は上品な空間が漂っておりました。

メニューが可愛い新聞スタイル。そこにはザッハトルテの歴史なんかも記されております。

 

ここで"Sachertorte"の歴史のお勉強。

1832年にウィーンの菓子職人フランツ・ザッハがある指令を受けた。

「かつて誰も食したことの無いようなデザートを」

彼は見事、今もなお現役の"Sachertorte"というお菓子を生み出したのだ。←素晴しい

そして彼の息子がホテル・ザッハーを創業し、"Sachertorte"は広く知られるようなった。

しかし、後に「ザッハトルテ戦争」と呼ばれる事件が勃発する。←戦争?!!

ホテルザッハが経営難に陥った時の事、

当時の経営者エドワルド・ザッハーがアンナ・デメルに助力を頼んだのが事の発端。

デメルは、ハプスブルク家の紋章をブランドロゴとして掲げる程の伝統を持った名店。

ザッハーは援助の見返りとして、デメルでもザッハトルテを作る事を許可した。

しかしエドワルド・ザッハー死後、ザッハーの遺族側からデメルの“オリジナルザッハトルテ”という標示を中止するように裁判が起こされた。←なんかヨーロッパぽい

ザッハー側からは、「正当なザッハトルテとは、ザッハのだ。」←何て勝手な。

双方の証人として多くの歴史家、古文書学者、料理研究家が証言し、正当なザッハトルテについて証言した。

裁判は7年もの長期に及び、1962年判決がなされる。

「どちらもザッハトルテを販売してもいいが、オリジナル標示は、ザッハー」

裁判は決着した

"CAFE SACHER"のものは"オリジナルザッハトルテ"

"DEMEL"のものは "デメルのザッハトルテ"

となっているのだ。

長々と"Sachertorte"の歴史について語ったのだが、"DEMEL"・"CAFE SACHER"よりも

ココ"OBERLLA"の"Sachertorte"が一番でした。私的感覚ですが。

うわがけチョコのジャリジャリ感。アプリコットの酸味のバランス。完璧。

他も美味しかったです。3つも食ってるし。。。飲み物はウィンナーコーヒーです。

ウィーン ドイツ辺りでは

"Kardinalschnitte"カーディナルシュニッテン(左)や

"Apfelstrudel"アプフェルストゥルーデル(その右)も有名です。

コチラ"HEINER"の"Kardinalschnitte"はアプリコットジャムが挟んでました。

日本ではコーヒー生クリームが多いですよね。アプリコット美味しいですよ。

ウィーンの外れ、電車で少し行った所に

ホワイトアスパラを売りにしたレストランがある。

写真はそこの扉の取っ手。

有名店らしいのだが、時期が遅かったのだろう

ホワイトアスパラにはありつけなかったものの、

料理はどれも美味しく、内装もおもしろいのでオススメ

marchfelderhof