本物と見まがう、アーモンドの果物
フルッタ・マルトラーナ
Frutta martorana/Frutta di Martorana(イタリア語) / Frutti di Martorana / Frutti di marturàna(シチリア語)
- 発祥
- イタリア・パレルモItalia / Palermo
- 分類
- 砂糖菓子(アーモンドの練り物)
- 主材料
- アーモンド・砂糖・食用色素
- 地方
- シチリア島 / パレルモ県
- 記録
- 3件
- 期間
- 2010
- 図版
- 5点





定義
フルッタ・マルトラーナは、アーモンドと砂糖の練り物で果物をかたどり、色を塗って仕上げたシチリアの菓子だ。苺、みかん、洋梨、無花果、まで、形も色も本物そっくりに作る。シチリアでは、この練り物をパスタ・レアーレ(「王の練り物」の意味)と呼ぶ。火を通さずに練って固めるだけの、いわばだ。
由来
名前は、パレルモにあった女子修道院「ラ・マルトラーナ」から来ている。12世紀の終わりに、マルトラーナという夫妻が建てた修道院だ。隣の古い教会も、のちにこの名で呼ばれるようになった。シチリアの古い辞典は、この菓子を「マルトラーナの修道院で作られる、果物の形の練り物」と説明している。
修道院の菓子として、18世紀の終わりにはもう名が知られていた。1800年、パレルモの王宮で開かれた仮面舞踏会では、貴婦人が「マルトラーナの果物」の籠を王に捧げている。当時のパレルモでは修道院ごとに名物の菓子があり、この果物もその一つだった。
実のならない季節に、修道院を訪れる客を迎えるため、修道女たちがアーモンドの果物を庭の木に吊るした。そんな話がよく語られるが、19世紀の辞典や民俗の記録には出てこない。一方で、1806年にシチリア中部の町の修道女たちが、王の来訪に合わせて「パスタ・レアーレの果物をたわわに実らせた庭」を用意した、という記録は残っている。
19世紀の半ばには、修道院だけでなく町の菓子屋も作るようになっていた。そののち修道院が廃止されると、作り手はすっかり町の菓子屋に移った。材料のアーモンドと砂糖は、どちらもアラブの支配のころにシチリアへ根づいたものだ。
分布
パレルモを中心に、シチリアの菓子屋で広く作られている。イタリア農業省の伝統食品の一覧にも、シチリア州の品として載る。海を渡ったカラブリア州の一覧にも「マルトラーナ風の果物」という名の菓子があり、名前が海を越えて伝わっている。
ローマのシチリア菓子の店でも、ショーケースに色を塗ったトマトやトウモロコシ、洋梨が並んでいた。パレルモの菓子屋では、葉のついた林檎や洋梨が籠に盛られ、別の老舗では、ガラスの台を何段も重ねて、苺、みかん、バナナ、ウチワサボテンの実を種類ごとに山にしていた。どの店でも、カッサータやカンノーロと同じショーケースに置かれている。
構造と製法
すりつぶしたアーモンドと砂糖を練り合わせ、型に押して果物の形にする。乾かしてから、食用の色で表面を塗り分け、艶を出して仕上げる。葉やへたは、紙で作って差すことも多い。
パレルモの老舗で食べた苺は、へたが紙でできていた。色は表面だけに塗られていて、かじると中は白い。アーモンドの練り物に砂糖の粒が残っていて、シャリシャリとした歯ざわりだった。甘すぎるとは感じなかった。
変種と周辺
同じパスタ・レアーレは、ほかの祭りの菓子にも使われる。には、子羊の形になって店に並ぶ。島の西のエリチェの町は、この練り物の菓子で知られた土地だ。シチリアの菓子では、カッサータの側面を包む緑の層も、この練り物でできている。
マジパンの歴史は、中東から始まる。10世紀のバグダッドの料理書に、アーモンドを同じ重さの砂糖と搗き、バラ水でまとめる菓子が出てくる。13世紀ごろのスペインのイスラムの料理書には、この練り物で「あらゆる果物や形」を作る、とある。シチリアの果物の細工も、この流れの先にある。14世紀には、地中海の交易でヨーロッパへ渡っていた。キプロス島では、作りたてを木の箱に詰めて売っていたという。「マジパン」という名前も、もとはこの箱の名で、それが中身の菓子の名になったと考えられている。
15世紀から16世紀にかけて、イタリアやスペインの料理書にマジパンの作り方が載りはじめる。同じころには、北のスウェーデンや東のハンガリーの言葉にも記録があり、ヨーロッパの端まで届いていた。
いまも、各地に名物が残る。スウェーデンでは緑のマジパンで包むプリンセストータがよく知られ、ハンガリーのセンテンドレの町にはマジパンの博物館がある。トルコでは、アーモンドやピスタチオを砂糖と練った「エズメ」を専門の店が売っている。ドイツのリューベック、スペインのトレド、トルコのエディルネのものは、その町で作ったものだけが名前を名乗れる。本物と見分けがつかないほど色を塗り込み、修道院の名で呼ぶのは、シチリアのものだけだ。
名前や見た目が似ていても、つながりの分からないものもある。メキシコのマサパンはピーナッツで作り、名前だけをスペイン語から借りている。タイのルークチュップは、豆のあんを果物の形にして色を塗る菓子だ。タイでは、ポルトガルのマジパンから生まれたとよく言われるが、それを示す記録は無い。
スウェーデンのスーパーには、プリンセストータを包むための薄いマジパンのシートまで売られていた。トルコのエズメはヨーロッパのものより少し食感が残り、ピスタチオのものはとくにおいしい。ハンガリーのセンテンドレで食べたトルタは、マジパンとチョコレートの生クリームを挟み、周りに乾かしたマジパンを巻いてある。
供される場面
11月2日の死者の日の菓子として知られる。シチリアでは、死者が夜のうちに町へ降りてきて、子どもたちに菓子やおもちゃを置いていくと言われてきた。朝、子どもたちが見つける籠には、砂糖で作った人形と一緒に、この果物が入る。
死者の日の菓子として書かれるのは、20世紀に入ってからだ。19世紀の記録では、死者の日の籠に入るのは砂糖の人形と本物の果物だった。いまは一年を通して作られ、10月の終わりから11月2日の前にいちばん多く並ぶ。
記録から見えること
3件の記録は、ローマのシチリア菓子の店とパレルモの2軒で、どれも4月のものだ。死者の日の菓子とされるが、春の菓子屋にも、ショーケースの一段を占めるほど並んでいた。シチリアの菓子屋では、いつも目にする顔ぶれの一つになっている。
文献の記録
| 年 | 記録 | 資料 |
|---|---|---|
| 10世紀 | バグダッドの料理書に、アーモンドを同じ重さの砂糖と搗き、バラ水でまとめる菓子(アーモンドと砂糖の練り物「ラウズィーナジ」) | イブン・サイヤール・アル=ワッラーク『料理の書』(ナスラッラー英訳)(原文を開く) |
| 1194 | マルトラーナ夫妻がパレルモにベネディクト会の女子修道院を建てる。隣の教会も、のちに「ラ・マルトラーナ」と呼ばれる | ディ・マルツォ=フェッロ『パレルモ案内』(原文を開く) |
| 1310〜40頃 | キプロス島で、作りたての marzapane を木の箱に詰めて売る。ヨーロッパの側のいちばん古い記録。「マジパン」の名は、もとはこの箱の名だったと考えられている | ペゴロッティ『商業の手引き』(原文を開く) |
| 1800 | 王宮の仮面舞踏会で、貴婦人が「マルトラーナの果物」の籠を王に捧げる。修道院と菓子が結びつく、いちばん古い場面 | ピトレ『百年余り前のパレルモの暮らし』(ヴィッラビアンカの日記による)(原文を開く) |
| 1806 | シチリア中部の町ピアッツァの修道女が、王の来訪に「パスタ・レアーレの果物をたわわに実らせた庭」を用意する | ヴィーゴ『著作集』(原文を開く) |
| 1806 | リューベックでニーダーエッガーが菓子店を始める。同じ年、デンマークの料理書に、マジパンの輪を積み上げるクランセカーゲ | 『新ドイツ人名事典』ニーダーエッガーの項(原文を開く) |
| 1851 | 辞典に初めて載る。「果物の形をした甘い練り物。マルトラーナの修道院で作られる」 | ビウンディ『シチリア語・イタリア語 手引き辞典』(原文を開く) |
| 1853 | 「形も色も自然そのまま。修道院で最初に作られたが、いまは町の菓子屋も作る」 | モルティッラーロ『新シチリア語・イタリア語辞典』第2版(原文を開く) |
| 1868 | 「マルトラーナの修道女が作っていた菓子」と過去形で書かれる。1866年に修道院は廃止された | トライナ『新シチリア語・イタリア語辞典』(原文を開く) |
| 1922 | 「マルトラーナの果物は諸聖人の日に」。死者の日のころの祭りと結びつけた、いちばん古い記録 | ベルタレッリ『イタリア』第2巻(旅行案内)(原文を開く) |
| 1931 | 「もとはマルトラーナの修道女が作った。諸聖人と死者の日に作るが、あとの時期にもある」 | イタリア旅行クラブ『イタリア美食案内』(原文を開く) |
| 2026 | イタリア農業省の伝統食品の一覧(第26次改訂)に、シチリア州の品として「Frutti di Martorana」 | イタリア農業省 伝統食品の一覧(P.A.T.)(原文を開く) |
観察記録
| № | 年月 | 町 | 所見 | |
|---|---|---|---|---|
| 01 | 2010.04.25(手書きの旅日記・著者への聞き取り) | ローマ | ショーケースに、色を塗ったトマト、トウモロコシ、洋梨のマジパンが金属の皿に並ぶ | 手書きの旅日記・著者への聞き取り |
| 02 | 2010.04.28(手書きの旅日記) | パレルモ | ショーケースに、葉のついた林檎、洋梨、トマト、ウチワサボテンの実を籠に盛って並べていた | 手書きの旅日記 |
| 03 | 2010.04.29(手書きの旅日記) | パレルモ | 苺を食べた。「色は周りだけ塗られていて中は白い。マジパン+グラニューでシャリシャリしてた」。ガラスの台を重ねたショーケースに、苺、みかん、洋梨、バナナ、ウチワサボテンの実が種類ごとに山になっていた | 手書きの旅日記 |