牛乳で煮た米を焼き固める、ボローニャの祭りの菓子
トルタ・ディ・リーゾ
Torta di riso[ˈtorta di ˈriːzo](イタリア語) / Torta degli addobbi(ボローニャでの別名)
- 発祥
- イタリア・ボローニャItalia / Bologna
- 分類
- 焼き菓子
- 主材料
- 米・牛乳・卵・砂糖・アーモンド・砂糖漬けのシトロン
- 地方
- エミリア=ロマーニャ州 / ボローニャ県
- 記録
- 4件
- 期間
- 2010–2012
- 図版
- 7点







定義
トルタ・ディ・リーゾは、ボローニャの米の焼き菓子だ。米を牛乳でやわらかく煮て、卵と砂糖、刻んだアーモンド、砂糖漬けのを混ぜ、型に流して焼く。下に生地は敷かない。焼き上がりは米の粒がぎっしりと入ったしっとりした塊で、ひし形に小さく切って出す。
由来
ボローニャでは「トルタ・デッリ・アッドッビ(Torta degli addobbi)」とも呼ぶ。アッドッビは「飾りつけ」の意味で、聖体の祭り(キリストの体とされるパンを担いで町を練り歩く、カトリックの祭り)のことだ。町のが順番に受け持ち、行列の通る道を布や絵で飾る。一つの教区には10年に一度まわってくる。始まりは16世紀の半ばとされる。
祭りの日には、家の戸を半分開けておき、訪ねてくる知人に小さく切ったトルタをふるまった。20世紀のはじめの本は「アッドッビにはトルタ・ディ・リーゾ」と書き、春の聖ヨセフの日の菓子などと並べて、町の行事の菓子に数えている。ただ、祭りとこの菓子を結ぶ記録は、それより古くはたどれない。祭りを「15世紀から」とする話もあるが、もとになった年は、行列の順番を決めた記録の年だった。
作り方も少しずつ変わってきた。「ボローニャ風の米のトルタ」として本に出てくる最も古いレシピは1841年のもので、シナモンとレモンで香りをつけ、卵をたっぷり使い、アーモンドは入らない。アーモンド入りの作り方が本に出てくるのは、1900年ごろからだ。19世紀の終わりに出て、いまも読まれているイタリアの家庭料理の本(アルトゥージ)も、のちの版で、アーモンドとシトロンを入れた米のトルタを加えている。
分布
ボローニャの菓子屋とパン屋で作られている。2005年には、イタリアの料理の研究団体(イタリア料理アカデミー)のボローニャ支部がレシピを決め、地元の商工会議所に登録した。米のトルタそのものはイタリアの各地にあるが、アーモンドを入れて祭りの名で呼ぶのは、ボローニャのものだ。
ボローニャでは、一日で回った4軒のうち3軒に置かれていた。郊外の大きな菓子店にも、町はずれの古い店にも、老舗の菓子店にもある。前の日の日記に貼った店のシールにも、ほかの菓子と並んで名前が書かれていた。
構造と製法
米は、牛乳でやわらかくなるまで煮て冷ます。そこへ卵と砂糖、皮をむいて刻んだアーモンド、細かく切った砂糖漬けのシトロンを合わせ、バターを塗って粉をふった型に流して焼く。ほろ苦いアーモンドの風味をつけるのが特徴で、昔はビターアーモンド(苦みの強い品種)の実を混ぜ、いまはアーモンドのリキュールをかける作り方が多い。アマレッティ(アーモンドの焼き菓子)を砕いて入れることもある。
同じ名前でも、店によって味がまるで違った。ある店のものは卵の味が前に出て、別の店のものはアーモンドの香りが立つ。四角く切ったものが多く、上にクリームや砂糖漬けの果物をのせて飾る店もあった。
変種と周辺
米のトルタは、エミリア=ロマーニャ州の中でも土地ごとに姿が違う。レッジョ・エミリアのものはアーモンドを使わず、リキュールで香りをつけるのが特徴だ。州の西のボッビオには、塩味の米のトルタもある。トスカーナのマッサ・カッラーラには、下が米、上がプリンの二層になった甘いものがある。
米を牛乳で煮る菓子は、ヨーロッパの各地にある。フランスのリ・オ・レ、スペインのアロス・コン・レチェ、ポルトガルのアロス・ドース、ドイツのミルヒライス、ギリシャのリゾガロ、トルコのスュトラッチ、イギリスのライスプディング。粥やプディングのまま食べるもののほか、冷やして泡立てたクリームと合わせるデンマークのリサラマンデのような形もある。北欧では、クリスマスに米の粥を食べる習わしが残る。
焼くものもある。17世紀のスペインやイギリスの料理書には、牛乳で煮た米に卵黄を合わせ、パイ生地に詰めたり型に流したりして焼く作り方が載る。いまもベルギーのヴェルヴィエには、生地に米を詰めて焼くタルト・オ・リがあり、ベルギーとオランダにまたがるリンブルフ地方のライスタルトは、その地方で決まった作り方で作ったものだけが名前を名乗れる、とEUが決めている。そのなかで、生地を使わずに焼き固め、小さく切り分けてふるまうのが、ボローニャのトルタ・ディ・リーゾの姿だ。
米の菓子には、旅のあちこちで出会っている。ポルトガルでは、米の粉で焼いた小さなケーキ、ボーロ・デ・アロース。フランスのアンジェでは、リンゴのピュレの上に米のクリームを詰めた小さなタルト。トルコでは、サフランで黄色く色づけた米の甘い粥、ゼルデや、ミルクプディングを食べた。
ボローニャには、ジャムやモスタルダ(果物を煮詰めた甘いジャム)を生地で包んだラヴィオーレ(半月形の焼き菓子)など、ほかにも行事の菓子がある。昔の本は、トルタ・ディ・リーゾの一切れを「アーモンドの形」に切ると書き、ボローニャの言葉では、その小さな一切れを「マンドレイナ」と呼んだ。いまのひし形の切り方も、このアーモンドの形のことだ。
供される場面
いちばんの出番は、初夏の聖体の祭りの季節だ。ひし形に切った一切れに楊枝を刺して出す習わしは、1930年代の記録から見える。戦争が終わった年の祭りでは「恒例のトルタは売られなかった」と新聞が書いていて、祭りと切り離せない菓子だったことが分かる。
祭りの季節でなくても、菓子屋には置かれている。祭りより1カ月ほど早い5月のはじめにも、ボローニャの3軒で、ほかの小さな菓子と一緒に皿に盛って食べることができた。
記録から見えること
ボローニャの3軒と、2年後のミラノで食べた4件を並べると、同じ名前でも店ごとの差がいちばん大きい菓子だった。卵の味が立つものもあれば、アーモンドの香りが立つものもある。ミラノで食べたものは「なんとも言えない」。米の菓子は日本人には難しい、と当時は感じていた。
文献の記録
| 年 | 記録 | 資料 |
|---|---|---|
| 1566 | 教区の聖体の行列と、通りの飾りつけ(アッドッビ)が始まる | マジーニ『ボローニャ案内』(1666年)(原文を開く) |
| 1841 | 「ボローニャ風の米のトルタ」の、いちばん古いレシピ。シナモンとレモン、卵10個。アーモンドは入らない | 『経済的料理法典』(原文を開く) |
| 1869 | 方言の辞典に「アッドッビ=10年ごとの教区の飾り」。米のトルタの項は無い | コロネーディ・ベルティ『ボローニャ方言・イタリア語辞典』(原文を開く) |
| 1900 | 「米とアーモンドのトルタ」を、アーモンドの形に切る | 『イタリア年鑑』(原文を開く) |
| 1905 | 「アッドッビにはトルタ・ディ・リーゾ」。菓子と祭りを結ぶ、いちばん古い記録 | テストーニ『消えゆくボローニャ』 |
| 1910〜11 | アルトゥージの料理書の最終版に「米のトルタ」(アーモンドとシトロン、アーモンドの形に切る) | アルトゥージ『料理の科学とおいしく食べる技』(原文を開く) |
| 1931 | 「米・牛乳・アーモンドの菓子。ボローニャで、教区の10年ごとの祭りのときに作る」 | イタリア旅行クラブ『イタリア美食案内』(原文を開く) |
| 1945 | 戦後すぐの祭り。「恒例のトルタは売られなかった」 | 『イル・レスト・デル・カルリーノ』紙(原文を開く) |
| 2005 | イタリア料理アカデミーのボローニャ支部がレシピを決め、商工会議所に登録 | ボローニャのパン屋組合のページ(原文を開く) |
観察記録
| № | 年月 | 町 | 所見 | |
|---|---|---|---|---|
| 01 | 2010.05.04(手書きの旅日記) | ボローニャ(グラナローロ・デッレミリア) | 四角い一切れを、ほかの小さな菓子と一緒に皿で | 手書きの旅日記 |
| 02 | 2010.05.04(手書きの旅日記) | ボローニャ | 「これまた卵っぽい味」 | 手書きの旅日記 |
| 03 | 2010.05.04(手書きの旅日記) | ボローニャ | 「ココノはアーモンドっぽい味 うまい」。ココナッツのクリームのタルトと一緒に | 手書きの旅日記 |
| 04 | 2012.04(当時のブログ「Milano Salone」を開く) | ミラノ | 「米を使ったお菓子…コレだ!っていう米菓子に出会った事が無い」「今回も……う~ん…なんとも言えない」 | 当時のブログ「Milano Salone」を開く |