旅 2010.05
40年前の本の地図
イタリア、スイス、フランス 2010年5月
旅に出る前、当時の恋人から文庫本ほどの小さな本を渡された。四十年前に出版されたパリの店を紹介した本だ。フランス語で書かれていたので内容は読めなかったが、たくさんのグルメなお店が並んでいた。この本に載っている店なら、今はもう老舗になっている。つまり、老舗ばかりが並んだ一覧だ。当時の私が求めていた情報が、そこに詰まっていた。
そのころの私は、古い店は古いまま残っているものだと信じていた。扉も、ショーケースも、その奥に立つ人も、四十年前と同じ形でそこにある。私が探していたのは、その土地の人が昔から食べてきた菓子で、そういうものは新しい店より、長く続いてきた店にあるはずだった。この本を地図がわりにパリを回る。それが、パリの散策に置いた楽しみだった。
北イタリアに入ってからの半月で、私はその思い込みを一枚ずつはがされることになる。もっとも、最初に手放したのは思い込みではなく、手に提げていた袋だった。
ナポリで友人と別れ、寝台列車で北へ上がった。朝、モデナの駅に降りて少し歩いたところで、手が軽いことに気づく。袋を一つ、列車に置いてきていた。
入っていたのは、ブッチェラートという、ドライフルーツを生地で巻いて焼くシチリアの菓子の載った本と、マルサラの酒と、南イタリアの土産物屋で買ったエプロン。本は、帰ったらこれを作ろうと決めて持ち歩いていたものだ。
駅員に伝えても、終点のミラノの駅の電話番号を書いた紙が返ってくるのみ。近くの公衆電話でかけてみたが、そもそも使い方がわからなかった。前を歩いていた黒人女性二人に頼んで電話をかけてもらうと、九時を過ぎないと誰も出ないらしい、と言われた。いつ、どこで、何を置いてきて、どうしてほしいのか。たったそれだけのことが英語で言えず、身ぶりばかりが増えていく。
私の袋がミラノの駅で待ってくれているとただただ祈り、先を急ぐことにした。
宿のチェックインまで、町を歩いた。ナポリやシチリアの温かさのあとでは、町や建物がどれも薄く見える。きれいで、どこか寂しい。菓子屋をのぞいても、これという一つは見つからない。ただ、建物の一階が市場になっている一角だけは、声が飛び交っていて活気を感じた。
市場にはさまざまなお店が並んでいたが、その中のチーズ屋で買い物をした。店員の女性は地元のチーズを丁寧に紹介してくれた。一人旅で、ただ誰かと飯を食いたかった私は、よかったら食事でもどうですか、と声をかけた。特にその女性を口説きたかったわけではないのだけど、返ってきたのは、左手の薬指に光る指輪と、ごめんなさい、のひとこと。恥ずかしかった。図らずも、人生で初めてのナンパは、こうして失敗に終わった。
その晩、電車で三十分のボローニャへ出た。入ったバールで、腹の出たおじさん六人に囲まれる。言葉はほとんど通じない。それでも、うまい店はどこかと身ぶりで聞けば、一軒の名前が返ってきた。言われた通りに行ってみると当たりの店だった。パルマの生ハムは脂を感じず、柔らかい塩の輪郭だけが残る。トルテッリーニは中に肉が詰まったショートパスタで、トマトと生クリームのソースもうまい。赤ワインまで頼んでしまう。一人で食べるには、少し良すぎる店だった。
翌日は、イタリアに来て初めての雨だった。冷たい雨が、町をよけいに冷たく見せる。南の陽気さのあとでは、北の人は淡白で、こちらの拙い言葉を汲み取ってくれるような場面が、ぱたりと減っていた。
とある菓子屋で知り合ったおじさんから、イタリアで最大の規模だという菓子屋が郊外にあると教えてもらった。どうもタクシーでないと行けないらしい。車に揺られながら、私は頭の中に店を描いていた。南イタリアで見てきた、店員が抱き合って歌うような、味のある古い店。あれがそのまま郊外に建っているはずだ、と。
着いてみると、広い道路の脇にとても大きな菓子屋がぽつんとあった。扉も、ショーケースも、壁も、隅々まで現代的で、効率的で、洗練されている。ここには抱き合って歌う人はいない。ふつうの客がいて、ふつうの店員がいる。頭の中に建てた店は、どこにも無かった。それでも、並んでいるのは長く食べられてきた菓子のはずだと言い聞かせて、次々に頼んだ。中でも、リコッタのクリームを絞ったタルトだけは、今でも味を思い出せる。タルト生地に、リコッタのクリームがドーム状に詰まっていた。南イタリアの甘いリコッタとは打って変わって、飾りのないクリームが絶品だった。店のあるグラナローロという一帯は、乳製品で知られているという。ここへ来る車のなかで、タクシーの兄ちゃんに牛乳を勧められていた。菓子と一緒に頼んでみると、さっぱりしているのに、濃厚でうまみがある。
中央駅まで戻って、また歩いた。町から結構離れた通りに、その店はあった。ネオンの看板も、包み紙も、店の中の空気も、ずっと前からここにあるものだった。カウンターの内側に立つ二人のマダムは、この店で何十年も働いてきたのだろうという顔をしている。頭の中に描いていた店が、今度は本当に目の前にあった。
ボローニャの菓子が食べたい、と伝えてみる。返ってきたのは曖昧な返事だった。この町では、どの店で聞いても、これという一つを出してこない。南なら、カンノーリ、スフォリアテッレ、ババと、すぐに名前が返ってくる。そんなものはない、と言われたこともある。北の人は、はっきりしないことを言いたくないのかもしれない。もしくは謙虚なのだろうか。
菓子を二つ包んでもらい、店内でカプチーノを飲んでいると、マダムが店のスペシャリテを一切れ、黙って差し出した。何の菓子だったかは、もう思い出せない。ただ、マダムの好意だけは記憶に残っている。
ミラノの駅で忘れ物のことを聞くと、ここには無い、と一言。あっけなく南イタリアの思い出は消えてしまった。ピッツァの町だと思って探しても、ピッツェリアが見つからない。時間も無かったので、サンドイッチと大きなビールで済ませた。旅はまだ二カ月以上ある。列車に置いてしまったお土産は諦めて、何かはまた手に入るだろうと信じ、雨の中、午後の列車に乗った。
列車は、ペットボトルがへこむほどの高さまで登っていく。湖と滝のあいだを縫い、蛇のような線路をゆっくり上り下りする。低速のジェットコースターに乗っているようだった。
夕方、小雨のバーデンに着く。慣れないドイツ語で道を聞いてホステルにたどり着き、夜は酒場へ出た。店の外からも、常連客同士で盛り上がっている雰囲気が伝わり、少し入りづらかったが、勇気を持って賑わう店内に入ってみた。ちょっと飲んで帰るつもりが、気がつけば夜中になっている。二人のお客さんが仲良くしてくれたのだ。四十一歳の男性はホームレスだと言い、私と同い年の女性は身体のすごいところに入っているタトゥーを披露してくれた。治安の悪い店内でタバコの吸い方も教えてもらった。私の名前は、こちらの言葉では三つの汚い言葉に聞こえるらしい。それがおかしくて二人は笑い続け、意味も分からないまま私も笑った。言葉が通じなくても、こういう夜はある。
スイスに入ると、菓子のつくりが一段きれいになった。チョコレートの店も多い。湖には本当に白鳥がいて、うじゃうじゃ浮いている。
念願だったチューリッヒの老舗Sprüngli(シュプリングリ)へ向かう。ここでもまた、私は古い店構えを思い描きながら扉を押す。中はシックで、ピシッとしている。客が絶えず、広い店内は人の山だ。壁一面にパッケージされた商品が並んでいて、その量が半端ではない。美しいパッケージを並べるだけで絵になる。ここで気になるお菓子を迷いなく買うと、気づけばとんでもない金額になっていた。これもまた勉強になった。
郊外の大きな菓子屋と同じだ、と気づいたのはこのときだ。人の集まる町ほど、古い店は新しくなっている。私が思い描いていた老舗の常識は少しずつ塗り替えられ、郷土菓子の世界の解像度が高くなっていった。
この国で食べた二つの菓子は今も残っている。ひとつはドイツとフランスに接するバーゼルで見つけた、アーモンドとメレンゲを合わせて焼くダックワーズの生地に、ガナッシュを円錐に立ててチョコレートで覆った菓子。生地はねちっとしてアーモンドが香り、チョコレートの口どけがいい。今でももう一度食べたい。
もうひとつは、湖の町ツークのツーガー・キルシュトルテ。さくらんぼの蒸留酒であるキルシュが、スポンジに汁が滴るほど染みていて、バタークリームにも入っている。酒を飲みはじめて間もない二十一歳には強すぎて、一人前を食べ終わる頃には顔が赤くなっていた。
食事のほうは重かった。スイス料理を食べようとラクレットのお店に入った。麦の入ったスープに、大量のじゃがいも、そしてトロトロに溶けた大量のラクレットチーズ。ビールと合わせたのが一番の失敗だった。溶けたチーズを冷たいビールで流し込むと、胃の中で固まっていくのが分かった。食べ切った頃には、胃が限界を迎えていた。一歩四十センチのペースで、二キロ先の駅までなんとか歩いた。この日からチーズとビールは絶対に合わせないことにしている。
スイスを離れる前の晩は、最後だからと先日の酒場に長居した。画家だという男性にビールをおごってもらい、私の絵を描いてもらう。この日は五時間以上飲んで、さすがに酔っ払ってしまった。気がつくと、真っ暗闇の箱の中にいた。手探りで鍵を開けて出ると、そこはホステルのトイレだった。酒場からホステルまでそれなりの距離があったはずだが、迷うことなく帰れていた。丁寧にコンタクトまで外していたことには驚いた。
当然のことながら、翌朝は二日酔いだった。休む間もなく、フランス行きの列車へと走った。揺れる車中で吐き気と格闘する。乗り換えがあることに気づいておらず、様子がおかしいので人に尋ねると、フランスはあっちだ、と言う。見ると「FRANCE コッチ」と大きく書いてある。その門を越えれば、そこはもうフランスらしい。二度目の陸路での国境横断。国境とは、こんなにあっけないものか。ストラスブールに着き、シャワーを浴びて、夜は何も食べずに寝た。
朝六時に目が覚めて、前の日に見られなかった町を歩く。すると、懐かしい匂いがした。香りに引かれて入ったのは、フランスのどこにでもありそうなパン屋だ。イタリアでもスイスでも、これはうまいと思うパンには出会えていなかった。しかし、このなんでもないパン屋の前に立つと、圧倒的な香りがした。クロワッサンも、ブリオッシュも、リンゴを包んで焼いたショソン・オ・ポムも、香りからして違う。日記のその行には「泣」とだけ書いてある。うますぎて泣、だ。
思い描いた店に裏切られ続けることもあれば、何も期待していなかった町の角で、感動的な出会いがあったりする。探しているものは、こういう所にあるのかもしれない。
その日の夜、列車を乗り継いでパリに着き、当時の恋人と合流した。
パリに着いて九日目のこと、私はようやく四十年前の本を開いた。載っている店のうち三軒を選び、地図をたどるように歩く。
一軒目は、閉店していた。二軒目も、三軒目も同じだった。住所は確かに合っているのに、そこに店は無くなっていた。その日のページには「40年も前の本やし、しかたないか。残念。」とある。四十年あれば店は閉まる。当たり前のことが、行ってみるまで分からなかった。
町外れの古い菓子屋のように、そのままの形で残っている店もある。郊外の大きな菓子屋や都会の老舗のように、名前を残したまま中身が新しくなった店もある。そして、跡形もなく消えてしまう店もある。
探している郷土菓子は、たぶんもっと地方にある。半月かけて分かったのは、それくらいのことだった。
この回の写真
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写真:林周作(2010年に撮影)
この旅の道のり
- 2010.05.03ナポリ→モデナ(イタリア、寝台)
- 2010.05.03モデナ→ボローニャ→モデナ(電車)
- 2010.05.04モデナ→ボローニャ(イタリア)
- 2010.05.05モデナ→ミラノ(イタリア、列車)
- 2010.05.05ミラノ→チューリッヒ→バーデン(スイス、列車4時間弱)
- 2010.05.06バーデン→チューリッヒ→バーデン(スイス)
- 2010.05.07バーデン→バーゼル→バーデン(スイス)
- 2010.05.08バーデン→ツーク→チューリッヒ→バーデン(スイス)
- 2010.05.09バーデン→バーゼル(乗り換え)→ストラスブール(フランス、列車3時間ほど)
- 2010.05.10ストラスブール(フランス)
- 2010.05.10ストラスブール→ナンシー(乗り換え)→パリ(列車)
- 2010.05.19パリ